とある大学に捨てられた猫たちと、そんな猫たちを見守る日記 ~猫と医学と~命を尊ぶ

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2006-01-21-Sat-10:37
事件気の重くなる話




土曜日はほぼ隔週で開業した整形外科の友人を手伝いに行っている。行きだして間もなくから診ている老夫婦、じいちゃんは肺に大きな腫瘍を抱えているがどういうわけか進展せず元気だし、ばあちゃんはペースメーカーを入れている。今日も診察に来て、ばあちゃんが話出した。じいちゃんは85才、ばあちゃんも82才。子供たちは離れて暮らしているらしい。今日も診察に来て、ばあちゃんが話だした。

「せんせ、もう大変どしたんや。じいちゃんのお兄さんが95才で亡くなりましてねえ、他の兄弟もみんな死んでしもうて、じいちゃんだけやから全部しなあきまへんかったんや」

「そりゃ大変やったなあ。そのお兄さんは一人暮らしやったん?」

「そうどすんや。急に悪うなって入院させても点滴の管は勝手に抜いてしまうわ、もうどうにもこうにも」

「まあ、95才やったら大往生やしなあ」

「それに葬式しようとおもたら、猫がよーけ、おりますんやがな。炬燵に入ろうとおもたら、もう10匹くらい、おるんどすわ」

「......(絶句)」

「お兄さんが、可哀想やさかいて、野良猫に餌、買ってまでやったはったんどすがな。そやかて、もう面倒も見られんし、全部、放りだしましたんや。」

「...子供さんは?誰もやあらへんの?」

「事情がありましてな、絶縁状態なんどすわ」

.........

その後、ばあちゃんはとりとめもなく色んな話をして帰っていったが、頭の中は真っ白だった。この寒さの中、家もなく、餌をくれる人もなく、突然放りだされた猫たち。この老夫婦にどうにかしろと言っても無理な話だ。自分たちの世話もおぼつかないのだから。亡くなったじいさんは、猫の世話をしなきゃと点滴の管を抜き、帰ろうとして力尽きたのではないだろうか。

多頭飼い崩壊はよくある話だ。年をとり、この先どうなるかわからないのに無責任だと責めるのは簡単だ。こうなることは目に見えていたと言うのも簡単だ。しかし、根本を考えてみれば、じいさんが見るに見かねて餌をやり猫を家に入れたのは、猫をゴミのように捨てる人間がいるからだ。捨てられて行き場のない猫たちは、藁にもすがる思いでじいさん宅に身を寄せていたに違いない。そして、そんな猫たちの姿の中に自分自身を見ていたのだろう。

よくある話、どこにでもある話、日本は本当に先進国なのだろうか。
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はなちん

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大学で最後に生まれた茶々は、1年間限定の命の蝋燭を燃やし尽くして、旅立ちました。でも、小さな命の悲鳴は、続きます.....

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